『朝』中込乙寧人が存在しているとは何だろうか。朝日が上り、学校のチャイムは街に鳴り響く。次の日も、次の日も同じような毎日を私たちは過ごす。けれど、確かに時間は流れていて、人は成⻑し退化している。日が昇る時間が少しずつ変化していくように、誰も存在を知らないようなものでも、いなくなってしまった世界は全く同じようで、違っていた。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
人が存在しているとは何だろうか。朝日が上り、学校のチャイムは街に鳴り響く。次の日も、次の日も同じような毎日を私たちは過ごす。けれど、確かに時間は流れていて、人は成⻑し退化している。日が昇る時間が少しずつ変化していくように、誰も存在を知らないようなものでも、いなくなってしまった世界は全く同じようで、違っていた。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
奥行きを生かしたスタンダードサイズで、仕事をリタイアした男性の日常を淡々と描くというときに作者が問題にしているのは、おそらくひとときの輝きであるよりもただ「在る」ということの謎へと向けられた眼差しであるだろう。それを作者はドキュメンタリー的な実録としてではなく、アングルを変え誰かのくしゃみの音や笑い声などを丁寧に拾うことで語られるべきもの(物語)として成立させようとしているように思う。であるからこそ、男性は居なくなったのではなく舞台から降りて、通りすがりであった高校生にライトが当たり、実はそのような朝が私たちの前で繰り返されていたのだという発見にまでつながってゆく、セリフらしいセリフは一つもないけれど夜のあいだに溜めていた言葉たちが紡がれてゆくようなとても雄弁な作品です。