『自我と慈悲の狭間で』加藤百花「生存方法」「他者との共生」「誰かを想うこと」について考えた。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
おそらくこの作品は何かの対象を写すというよりは作者の身体のあり方に近いところで共存するように作られた映像作品と言えるように思います。手持ちカメラで進む最初のカットがカクカクと止まり心音が聞こえ(近寄ることの禁忌)、そして次のカットではおそらく「視る」ということの禁忌が語られているようです。その後に続くのは「光」の連鎖で、これは何かを信じたいという気持ちの表れかあるいは逡巡ではないでしょうか。光はその強さゆえに人を遠ざけるからです。そのようにカット一つ一つが作者の何かしらの身体的反応とシンクロしていてその軌跡が刻まれた作品と言えそうです。
濱口竜介「他なる映画と 1」p27
(ポルトガルの監督マノエル・ド・オリヴェイラがゴダールとの対談で発した言葉)「説明をほどこそうとはしない光にひたっている、あふれんばかりの素晴らしい記号たち」
(加藤さんの作品は「記号」ではないですが、、)