映像表現・理論コース
[理論・批評専攻]
映像表現・理論コース [理論・批評専攻] による2021年度の卒業論文を掲載しています。
ご意見・ご感想などございましたら、ぜひアンケートフォームまでお願いいたします。
※ 2022年3月13日〜20日をもって本文の公開は終了いたしました。
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ゴジラはなぜ68年経っても愛されるのか
澤田 宗太朗
<概要>
ゴジラはなぜ68年経っても愛されるのか。
ゴジラの関係する本は、たくさん存在するが、政治的あるいは哲学的 にその理由が述べられているものが多い。一概にゴジラの人気はこれであると決めつけることが現段階では不可能である。卒業論文では、ほとんど分析されてこなかったゴジラの人気の理由を、外的要因ももって観点で迫っていきたい。
第一章では、ゴジラがいままでどのように人気を獲得し多くのファンを獲得してきたのかを理解するために昭和から現在までのゴジラシリーズの歴史を、人気の演出やキャラクターを分析していきたい。第二章では作品の共通点から人気の理由を探していく。興行収入が高いゴジラ映画や売れなかったものとの比較などを当時の記事を用いて分析し、ゴジラを支えるメカニック兵器や他のキャラクターの人気の理由も探る。第三章では、ゴジラのビジネス展開において、東宝は何を目指しているのかを論じる。
ゴジラの外見の魅力から、他のアクション映画やヒーローものの特撮作品との違いを分析して、人気の秘密を浮き彫りにする。
「ハワード・ホークス論」
〜多様な女性像をめぐって〜
村田 比呂
<概要>
本論では、映画監督ハワード・ホークスが描いた「ホークス的女性」と呼ばれる特徴的な女性像について研究した。 斉藤綾子によると、ホークス的女性は「男社会に受け入れられる存在」としての女性と「自由な存在」としての女性の2種類に分けられるという。しかし、ホークス作品を観る中でより細かく女性たちを分類できるのではないかと考え、新たなホークス的女性像の構築を目的として、1920年代から50年代に公開された作品から12作品に絞り、年代による特徴や年代ごとの変化、違いを考察し、女性たちを分析した。
その結果、彼女たちは自由を追求し、男性に臆する事なく自分自身の意思で行動をする自立した、自由を体現する女性であると分かった。さらに、3種類の女性像に分類でき、「何かを追い求めて行動する女性」、「官能的な魅力を持ち男性を魅了する女性」、「自由である事を自覚しており、それを自らコントロールができるが、同時に失うことを恐れる女性」がいると分かった。
山田洋次作品から見る家族の表象
保坂 朱美
<概要>
山田洋次は、東日本大震災を機に家族を考え直すきっかけを『東京家族』『家族はつらいよ』『家族はつらいよⅡ』『妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ』の四作品の映画を通して与えている。本稿では、『東京家族』と『家族はつらいよ』シリーズを中心に「家族」「結婚」の形に注目し家族間におけるジェンダーについて分析していく。そして、山田の映画の面白さの根源にある共通点や、定番化された物語の構造などを探るべく、『東京家族』から『妻は薔薇のやうに 家族はつらいよⅢ』までの「家族」を描いた山田作品を分析の対象として取り上げ、作品ごとの時代背景や女性を中心とした登場人物に重点を置き分析を行う。また、『家族はつらいよ』シリーズを鑑賞する上で浮き彫りになった家族(平田家)に対しての違和感にも追求していく。最後に第一章から第三章までを総括し、山田洋次の作品を取り上げ山田洋次が男女の在り方をどのように表現しているのかを考察し、作風が地味だと言われる山田洋次の新しい評価に繋がる可能性を考えていく。
セルゲイ・エイゼンシュテイン論
~初期サイレント作品におけるドキュメンタリー性と、トーキー以降の作風の変遷を巡って~
日原 朋哉
<概要>
ソヴィエトの映画監督であるセルゲイ・エイゼンシュテインは現代の研究では”モンタージュ”の化身としてもっぱら語られるが、初期のサイレント作品4作品を鑑みると、ドキュメンタリー映画的な要素を多分に孕んでいることがわかった。その論証のために、本論文では”ドキュメンタリー映画的とは何か”の再定義を自分なりに行い、被写体となる現実の題材と、作家の作為的演出との両立こそが”ドキュメンタリー映画を形成し得る構成要素であると断定した。その際ポール・ローサの『文化映畫論』を参考にした。また、一般的な感覚での劇映画とは別のジャンルとしてしばしば区分されるドキュメンタリー映画は、演出の作為性ゆえに劇映画の範疇において語られるべきものであり、記録映画とは明確に区分されるべきものであるという点にも言及している。副次的なテーマとして、現代の映画史教育に流布しているアンドレ・バザンとエイゼンシュテインとの対立の構図についても再考している。また、トーキー以降の作風の変遷に関しては、内容に顕著に見られる物語性への傾倒と、ショットの時間的調子の変化から、ドキュメンタリー性を喪失し、極めて簡潔な古典的ハリウッド映画の装いへと変遷した、という結論を得た。
「ミニシアター」とは何か
〜映画興行史から考える
阿部 佑紀
<概要>
80年代より東京で続々と誕生した「ミニシアター」。しかし、2010年以降、ほとんどの映画館が姿を消し、ミニシアターの草分け的存在となった「岩波ホール」をも今年の7月に閉館を迎える。 本論文では、ミニシアター文化がどのような歴史を辿っていったのか戦前まで遡り、ミニシアターが日本の映画興行においてどのような役割を果たしてきたか多角的に調査し明らかにする。 序章では戦前の映画興行について簡約し、主に劇場宣伝の点でミニシアター文化とのつながりを感じる部分を導き出した。 第1章では戦後のインディペンデントな映画興行を取り上げ、ミニシアターの系譜を辿った。特に60年代は映画上映運動や既存の興行館にて新たな試みが各所で行われた。 第2章では「ミニシアターブーム」で誕生した映画館を取り上げ、映画界、ひいては社会にどのような影響を与えたのかを論じた。 結論ではミニシアターの存在意義を再確認し、衰退傾向にあるミニシアター文化の課題を明らかにした。
アンリ・ドカ論
ヌーヴェル・ヴァーグにおける撮影監督として
平尾 元瑛
<概要>
ヌーヴェル・ヴァーグを支えた撮影監督の一人であるアンリ・ドカについての研究を行った。彼に関する資料は非常に少なく、日本ではほとんど研究されていないことから研究の意義があると考えた。研究方法は、ヌーヴェル・ヴァーグ前の40年代からヌーヴェル・ヴァーグが終焉する60年代までの作品に限定し、彼の撮影した映像からレンズワークやライティングなど技術面から、アンリ・ドカのヌーヴェル・ヴァーグらしさを分析していく。その中でアンリ・ドカは、アレクサンドル・アストリュックの「カメラ=万年筆論」に非常近い考え方で撮影しているのではないかと考えた。アンリ・ドカとアストリュックは直接的な接点は確認できなかったが、同時代に同じような考え方を持った人物が、撮影現場や批評と場所は違うが、新たな映画を開拓した。アンリ・ドカはその中でも高感度フォルムや手持ち撮影など新たな技術を駆使した点でも非常にヌーヴェル・ヴァーグの撮影監督だと考える。
ハル・ハートリー論
片山 玲成
<概要>
『アンビリーバブル・トゥルース』(1989年)でデビューし、一躍脚光を浴びた90年代前半から現在もインディペンデントで活躍を続ける映画作家ハル・ハートリー。日本でも1992年に『シンプルメン』(1992年)が初公開されると、淀川長治の絶賛を皮切りに好意的に受け入れられ、認知が進んだ。そして今やアメリカのインディーズ界を象徴する一人に数えられ、巨匠や名監督と呼ばれるようになったが、それとは裏腹に日本において学術的な研究は全くなされておらず、彼を単体で扱った文献も存在しない。そこで本論では、その偉大さが具体的な根拠もなく喧伝され、体系化されることなく作品や作家論が断片的に論じられてきたハートリーの作家性を、受容過程の考察や作品分析等を交えながら明確に体系化し、それをもとに作家性を定義することでその実像を浮かび上がらせることを趣旨とする。また、分析対象となる作品を映画以外のドラマやミュージックビデオといった他の仕事まで手広く扱うことで、彼の映像作品に対する姿勢を明らかにし、相互的な作家性をも見出すと共に、諸影響をどのように自らの作品に落とし込んだのかや後世の影響まで探ることで、彼の映画史におけるポジションを確立させるものとする。
高峰秀子論
三ヶ田 倖那
<概要>
高峰秀子は長年第一線で活躍した女優と言っても過言ではないだろう。「デコちゃん」の愛称で長年多くの人に親しまれ、第一線で活躍した。自らが持つ「控えめな女性」という高峰秀子像と世間一般の高峰秀子像が異なっていると気が付き、彼女をテーマに選んだ。
出演作を順に追って分析していくなかで、高峰が演じた役の在り方が相手役の性別によって異なることがわかる。それが、彼女が男性からも女性からも支持された要因のひとつではないか。そこで本論文では対男性と女性異なる役割に考慮しながら作品を分析していく。
具体的には、彼女の活躍した時代を①子役時代、②戦後の変化、③『二十四の瞳』以降、④中年期の四つの時代に分類し、それぞれの時代の代表作を分析することで、他の女優にはない高峰の特徴を考察し、「大女優」の位置に居続けた、他の子役上がりの女優と異なる理由を明らかにする。
トーキー移行期における、松竹が果たした先導的役割
宮脇 千聖
<概要>
本論では、無声からトーキーへの移行期に製作された松竹映画や、その上映形態に注目することで、日本映画の音の発展において、松竹が先導的な役割を果たしたことを明らかにする。
第一章では、松竹キネマ創設時より活動する松竹管弦楽団と、その楽長である島田晴誉に注目し、無声映画期の楽士の活躍を明らかにする。また、島田が力を注いでいた、クラシック音楽の普及や和洋合奏の実態を掴む。
第二章では、大正期から昭和初期にかけて量産されていた、歌をもとに製作される小唄映画に着目する。小唄映画の流行が、トーキーによって映画に音が付けられる前より、映画と歌の関係を深めたことを明らかにする。
第三章では、松竹初のトーキー作品の、五所平之助監督『マダムと女房』(1931)を分析する。本作は、日本初の本格的なトーキー作品として評価されているが、なぜ「本格的」と言われているのかを、トーキーの発達史や作品分析によって明らかにする。
最後に、第一章から第三章までの結論を踏まえて、松竹がトーキー移行期において、いかに日本映画の音の発達に貢献したかを解明する。
映画作家 内田吐夢
石原 旭
<概要>
俳優、監督として日本映画界で活躍した内田吐夢は、1930年頃には傾向映画作家としてその名を知られる事となった。その後第二次世界大戦の際には満洲に赴き、内田はその地で終戦を迎えた。戦時中から合わせて10年間を中国で過ごし、日本に帰国した後も監督として映画を制作し続けたが、その10年間は映画作家として大きな空白の10年であった。戦前は傾向映画作家として注目を浴びていた内田が戦後では何を描くのかを注目された。しかし、当時の批評では内田が描くテーマについて傾向映画作家時代の頃と比較して、社会への批判が不十分とする評価がされていた。しかし、内田は戦後の作品においても一貫して封建社会への批判や、差別に対する反抗を描いている。本論では内田の生涯と作品を照らし合わせながら、場面分析や文献を用いてその作家性を読み解く。
フェデリコ・フェリーニを追って
~ネオレアリズモの影響を探る~
向笠 友哉
<概要>
一般的に、難解で摩訶不思議な映像表現が特徴的だと言われているフェデリコ・フェリーニ。そんなフェリーニは映画人生を、ネオレアリズモ作品の一つであるロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』の脚本からスタートさせた。そして、監督としてデビューしてからは、複数のネオレアリズモ作品を製作した。
本論文の目的は、フェリーニ作品に流れるネオレアリズモの影響について探ることである。
まず、複数のネオレアリズモ作品から「ネオレアリズモを構成する要素」を独自に抽出し、フェリーニの監督作品を初期・中期・後期に分け、ネオレアリズモの影響を分析していった。
結果、初期作品はネオレアリズモ作品そのものであると改めて判断した。続いて、いわゆる”フェリーニらしさ”が先鋭化されていく中期・後期作品にも、初期作品に見られたネオレアリズモの特徴と合致するものを発見できた。
これにより、フェリーニ作品にはネオレアリズモの影響が現れていることを確認した。
成瀬巳喜男映画における子供の表象
関口 真輝
<概要>
成瀬巳喜男の映画については多くの文献で語られてきたが、総じて成瀬には暗い印象がついて回っているように見受けられる。また、女性を生き生きと演出したこと、男性の悲哀を描いたことについてはよく触れられていても、子供についての考察はあまり多くない。女性映画の名手として名高い成瀬の作品を、子供に着目することで家族という尺度から捉え直す。本論では成瀬映画において親子の関係がどう表象されていたか考察し、作品に通底する家族に対する成瀬の願望を探し当てることを試みる。
成瀬は「理想の家族」を追い求めるために映画を撮っていたところがあるのではないか、という問いを出発点に、主題に合致する作品を三つの章に分類して論じる。第一章の「子供の存在」では『腰弁頑張れ』(1931年)、『銀座化粧』(1951年)、『秋立ちぬ』(1960年)を取り上げ、子供の存在が各作品においてどのような効果を持っているか考察する。第二章の「子供の不在」では『めし』(1951年)、『山の音』(1954年)、『乱れ雲』(1967年)を取り上げ、子供の不在が示す意味を分析する。第三章の「成人した子供と老いた親」では『妻よ薔薇のやうに』(1935年)、『娘・妻・母』(1960年)、『女の座』(1962年)を取り上げ、第一章や第二章で論じたことを踏まえて成瀬が家族に抱く理想に迫り、成瀬にとっての「理想の家族」のあり方を導き出す。