<論文概要>
本稿では、第1章で影絵映画がそれ以前の影絵から受けた影響を整理し、第2章で先駆者ロッテ・ライニガーの作品分析を行い、彼女がいかに前衛的でまた一貫していたかを分析した。第三章では主に大藤信郎を中心とした日本の影絵映画作家に焦点をあて、これまで国内で評価されてこなかった作品の分析に加え、先行研究で取り上げられた影絵映画の教育的価値に疑問を呈し、教育が衰退に繋がったことを明らかにした。第4章で現代唯一の長編影絵映画作家のミッシェル・オスロを分析し、その独自性や画面の審美的特徴以外に、影絵映画がこれまで分析されてこなかった画角や構成について明らかにした。また現在における影絵映画は、これまでタブーとされてきた正面の視線や、平面的な人と立体的な背景との融合による視覚的変化を強調させるような違和感への挑戦がなされている。また、他の映画では映ってしまう環境の差、人種等の差を排除することで、対象を特定させない効果をもつ唯一の分野である。
<卒論を終えて>
昨年の今頃、漠然と思い描いていた「映画と版画、浮世絵の共通点について論文を書きたい」という思いが、今こうして形になったことに感慨深いものがある。粗雑な動機からたどり着いた「影絵映画」は、それ自体がまだ研究が充分になされていないことに対して、吉ととるか、凶ととるか。本当にこの研究が正しいのか、情報を収集できているか、手探りの中自分の考えのもと書き上げることができたことに、私は吉であったと言える。これからもこの分野が研究されていくことを願う。
作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。
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