top of page

「1969年若松孝二論」松本淳

<論文概要>

1969年の作品(『処女ゲバゲバ』『ゆけゆけ二度目の処女』『理由なき暴行』『狂走情死考』『裸の銃弾』『現代好色伝/テロルの季節』)の六本を取り上げ、今まであった政治的イメージからの逸脱を試みる。具体的には第1章では女性の表情、台詞を巡って、第2章では男女が入り混じる性行為のシーンにおける演出について、第3章では男性像の凶器を手にする前後の変化、そして第1章で論じた女性の表情の正反対に位置する背中について論じてゆく。結論では、本論で一貫して分析してきた役者の身体性からみた若松孝二の新たな可能性と、今後の若松作品への新たなイメージへの展望について記してゆく。いわば、若松の演出術のようなものになっている。第2章の性行為シーンでは、カットの割り方などの編集にも重点を置き、映画を分析を行った。あくまで、若松の映画から見えてくるものに注視している。


<卒論を終えて>

終えてまず思うのは、夏休みに卒論から目を背け、連絡を怠ってしまったのにも関わらず、戻ってきた際に受け入れてくださった志村先生に対する感謝の念である。先生の気持ちは、蓮實重彦が結婚詐欺師と評した作家の代名詞であるやれやれであったと推測する。詐欺師と評された作家に出てくる登場人物のように、僕はパスタを食べるわけでも、ましては少し変わった女性との出会いもなかった。ただ唯一同じ点があるなら、夏以降図書館に、こもるようになったことだ。学生時代最後まで、後回しにする癖は治らず、本当にやれやれ。これからは早めに色んなことをやれやれ。


 

作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。

 

ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。

Comments


日本大学芸術学部

© 2025 日本大学芸術学部映画学科

bottom of page