<論文概要>
本論では、晩年の大林宣彦が製作した四作品を主軸に、大林作品における「幽霊」と「喪失」との関係を再検討し、それを通じて大林がこれまでどのように死者を描いてきたのかを明らかにし、その作家性を追究することを目的とする。これまで度々示唆されてきた大林の映画が幽霊譚ばかりであるという点に関して、「生者と死者」「過去と現在、未来」という観点から大林が描いた戦争表象について見つめ直した。結果、登場人物の視線を使った手法(正面向きのショット)では、役者の視線をあえてカメラに向けさせ、カメラに向かって台詞を語りかけることによって観客を映画という装置の中に介在させ、無意識のうちに劇中へ引き込ませていた。そこには戦争を、他人事としてではなく、自分事として捉えてほしいという大林の意図が込められていることがわかった。「幽霊」と「喪失」との関係においては、とくに晩年の大林は「喪の作業」を繰り返し描いては、何度も喪失からはじめなおし、何度も死者や過去を回帰させ、生者と死者の混交を描いていた。大林宣彦は自身の苛烈な意志のもと、映画を製作することによって「終わりなき喪」を生き続けていた。
<卒論を終えて>
私が映画学科に入るきっかけとなった大林宣彦監督と自身の興味がある分野を卒論のテーマとすることができ、また、無事卒論の執筆を終えることができ、1つの到達点に立てた心地がした。今回卒論を執筆するにあたり、実際に大林の生まれ故郷である尾道や、戦争三部作の一つ 『野のなななのか』 のロケ地となった芦別を訪れたのだが、そこで感じたものは大きく、この論文を書く原動力となってくれた。執筆を終え、改めて、大林が生涯をかけ、映画を通して繋いでくれた平和への想いを、私自身しっかりと受け継ぎ、より良い未来を担っていきたいと感じた。
作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。
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