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Guest
Mar 14

 私たちは無意識に“表現の舞台”に上げるべき事柄とそうでは無いものに選り分けるところから作品を作り始めますが、この作品は“語られない”あるいは“起こらない”ことに光を与えようとしているように思いました。そういう意味では実験的であり、畑の真ん中で母親とちゃぶ台を囲むというように、描かれる人物ではなくて舞台の方が変質してしまっていますが、だからこそ登場人物同士を結ぶ線が一瞬でも見えたような気がするのは私だけでしょうか?

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