『私をくるむ、せまいせかいに』中村 陽奈母が生まれた場所を旅した。母の故郷の風景から、母の記憶を辿り、これからのことも考えた。 ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品About 映像表現・理論コース
母が生まれた場所を旅した。母の故郷の風景から、母の記憶を辿り、これからのことも考えた。 ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品About 映像表現・理論コース
車窓からの映像で始まり、車窓からの映像で終わる。途中の風景。
旅とは、目的地に着くまでの間、そこから帰るまでの間、移動時間に起きる感情や思考によって旅してると感じさせる。 出発帰宅時のないこの映画も旅の部分を映した 間 の時間である。 監督が見た風景を母に見せ、母の記憶の風景を辿る時間、その間に語られる思いも時間の旅のようだ。
誰しもそこから見えた風景は自分の見てた間だけだ。その前後にも風景はあるが、変化し続ける。だから見てない間の風景はわからない。 監督と母が見たのは同じ場所だけど違う風景。それでも会話によって母の思いは監督に伝わる。そして、これからのひろいせかいを見渡す監督自身に重要な旅になったのではないだろうか。
うまくまとめられないが、そんなことを思いました。
学生を終え社会への旅立ちに際して今まで自分を優しく包んでいた世界を見つめ直そうとしているのでしょうか?途中に挿入される短いカットの連なりが、よく見知っているはずの世界への新たな気づきにも感じられて、それによってただの“私語り”で終わらない客観性を獲得していると思います。祖母の死や母から娘へと受け継がれる生命へと思いを馳せる監督のナレーションも淡々と私たちに訴えかける力があります。