『25mプール』鈴木 夢泳ぐことが苦手な少女は、25mのプールを泳ぐことになる。 すると、その水中に水にまつわる記憶が現れる。この水の記憶は、いつ・誰のものなのか。ひとりぼっちに思えた少女が、世界の断片にほんの少し触れる物語。※本作は3年生の作品になります※ ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品 About 映像表現・理論コース
泳ぐことが苦手な少女は、25mのプールを泳ぐことになる。 すると、その水中に水にまつわる記憶が現れる。この水の記憶は、いつ・誰のものなのか。ひとりぼっちに思えた少女が、世界の断片にほんの少し触れる物語。※本作は3年生の作品になります※ ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品 About 映像表現・理論コース
たくさんのシーンをたくさんの役者さんを使って形にしているところがとても意欲的で機動力と実行力を感じました。それぞれのシーンの選び方も前後を省略しての切り取り方、セリフも魅力的でした。
作品で表現したいことは、よくわかります。漫画「海獣の子供」の“海には全ての記憶が溶け込んでいる”というセリフを思い出しました。
ただ映像としては、作者の意図したような「繋がった」「溶け合った」印象になっていないのが残念ですね。
しかし、きっと文章として企画書や台本を書いているときには魅力的に出来上がっていたのでは無いでしょうか?
コピーライター出身の演出家の方と映像をつくる仕事をするとき「映像ベースではなく、文章で考えている人」の指示に従うと映像としてはうまく機能しないことがよくあります。映像言語と文章言語とは本当に別物なのだなと思い知らされます。
他のコメントを書いている2人をたまたま存じていますが、映像の国の言葉を使うプロなので、とても参考になる意見だと思います。
これを書いている自分は、映像の国の言葉を話すのがあまりうまく無いので、自分の好きな・目指したいものに近い映像作品を編集ソフトで、カットごとに切り刻んで、長さを測り、種類ごとにレイヤーに振り分けたり、絵コンテに起こしたりして勉強しています。
次の作品もたのしみにしています。
全くロケーションの異なる映像同士を結びつけて状況を作る、いわゆるモンタージュというのは単純なようで結構扱いの難しい編集方法で、なぜかというと一つ一つの映像の中に見ているものが人によって違うからです。本作の最初のクロスフェードで入ってきた画は、作者には地下水道や水脈のようなものが見えているかもしれませんが、多くの観客の目に最初に入ってくるのは坑道やトンネルのような黒くてゴツゴツした岩肌で、これだけでは「水の記憶」へとは結びつきません。観客の意識を「岩肌」ではなく「地下に流れる水」へと向けさせるためには、例えば自分なら、プールの水をかく音と石に落ちる水滴のseをクロスフェードさせ、トンネルの岩に落ちる水滴のクロースアップをつなぎ、その次にトンネル全体を映す…という感じで、現状ではクロスフェード処理されている絵の間にいくつかの手順を踏みます(最初なので慎重にやります)。センスオブワンダーを与える映像には観客の意識を丁寧にコントロールする編集文法が不可欠だと思いますので、その辺りも知っていけると良いのかなと思います。
プロダクション的には子役と水中撮影という難易度の高いことに挑戦していると思います。プールを泳ぐ女の子と水にまつわる誰かの記憶というのは意味的には繋がっていますが映像表現としては「誰かのプールにまつわる色々な記憶」のようなものの方が具体的なものを記録してしまうカメラの特性を考えたときには合っているのではないかと思います。また24コマで撮ったりノイズの多い映像であったりして映像素材的に幅を持たせても良いかもしれません。