『kin』岸田 凌映像化することの本質である、記録するという行為。それぞれ異なる時間軸の中に存在し、私の視界に捉えられた像が、ただ映し出される。私を取り巻く環境が僅かではあるが、垣間見えるであろう作品。 ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品 About 映像表現・理論コース
映像化することの本質である、記録するという行為。それぞれ異なる時間軸の中に存在し、私の視界に捉えられた像が、ただ映し出される。私を取り巻く環境が僅かではあるが、垣間見えるであろう作品。 ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品 About 映像表現・理論コース
野村健太先生の作品のことを想起しながらも、作者なりの表現や挑戦も多く見えておもしろかったです。
作品を見ながら
奥野先生が自作について語っていた「映像の中では、死者も生きているし生者も死んでいる。」と言う言葉を思い起こしました。
作者の今を見つめる目が、遠い未来から過去を見つめる視線としで感じられて切なかったです。 犬さん長生きしてね。
映像データをフィルムを通して一律のエイジングを施すことで見るものにその撮影年代を倒錯させる…というような手法にはこれまでも多くの先行作品があると思うのですが、では「kin」でしか見られなかった独自性を見出せたかというとなかなか首肯しづらいというのが本作を鑑賞しての偽らざる所です。例えばAIを使った高度なノイズリダクションや、1枚の写真からの3DCGモデル出力も可能になった現代であれば、本作の試みとは逆に全ての古い映像をつい昨日撮ったようにすることもできるはずです。そうした状況の中でもなお「フィルム」でなくてはいけない理由とは何なのか、その辺りを掘り下げた作品を見てみたいですし、製作者がもはやフィルム撮影を体験した世代ではなくなった今だからこそ、ノスタルジーのような言葉に頼らない言語化は必要とされている気もします。