『わたし、ヤングケアラーになりました。』安部 楓花私は、1人の元ヤングケアラーに出会った。ヤングケアラーとは、18歳未満で本来大人が担うような介護を負担し、生活に支障が出ている人の事を指す言葉である。彼女の思い出の地、東村山市を巡り、その記憶を辿っていく。※本作は3年生の作品になります※ ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品 About 映像表現・理論コース
私は、1人の元ヤングケアラーに出会った。ヤングケアラーとは、18歳未満で本来大人が担うような介護を負担し、生活に支障が出ている人の事を指す言葉である。彼女の思い出の地、東村山市を巡り、その記憶を辿っていく。※本作は3年生の作品になります※ ご感想はページ下部のコメント欄までお願いいたします。▷ 映像表現・理論コース [映像専攻] の映像作品 About 映像表現・理論コース
一人の元ヤングケアラーを取材したものであるが、テロップや写真がとてもうまく構成されているので視野が広がりつつ飽きないで最後まで観ることができます。気になる点としては、経験者として(プライベートな立場)の高尾さんと、ヤングケアラー協会の(公な活動を行う)高尾さんとの関係性が多少複雑ではないかということです。ヤングケアラーになり突然終わったという(過去)体験とその経験を元に(現在)協会の活動をしていること、そして現在進行形を思わせる(が実は過去の体験である)タイトル。やはり高尾さんの過去体験(のインタビューか写真構成)から入るのが良いのでは。
タイトルや概要からはもう少し対象の内面にカメラが迫るものを想像してしまったのでやや肩透かし感があったのですが、「元ヤングケアラーである」という前提が共有された上で見る高尾さんの明るい語り口はNPOの紹介以上の重奏性があり、最後まで引き込まれました。途中で作業所の陶芸品の紹介になってしまったのは10分のドキュメンタリーとしては寄り道が大きすぎるかなとも思いつつ、最後のカットで「メディアに自分の過去を開陳すること」についての独白のようなものが伺えたのは(そうした意図による編集かはわかりませんが)良かったと思います。