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空の検索で97件の結果が見つかりました。
- 『あなたも鎗さんですか』鎗颯良汰
広島県に親戚以外の鎗さんがいるという情報をネットから得た私は、おもむろに車を走らせる。そして、1件目の取材で住所を教えて頂き、無事に会うことに成功する。 あっけなく終わってしまったため、自分の家族に矢印を向け、大伯母にインタビューを試みると、新しい事実がいくつも判明し、全てでは無いが家系図を完成させることに成功する。これは、名字が珍しい男のドキュメンタリーである。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 『3時のおやつは魔法の時間』宮治玲奈
3時のおやつ。それは1日の中にある小さな幸せの時間。 とある魔法使いのお家では、そんな幸せの時間を心待ちにするふたりの弟子がいました。 ついに訪れるおやつの時間。ふたりは魔女の元へと駆けていきます…。 このお話は、とある魔法使いのお家の、日常の一コマです。 ※この作品はオンライン公開のみです。 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 『Hot milk in a small room』竹内くるみ
眠れない夜は、ホットミルクを飲んで。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 『私の骨は、ダイヤモンド。』松田理奈
「私が死んだら、ダイヤモンドにしてください」と彼女は言った。 あなたは蝶か、蛾か。 亡き祖父へ、亡き過去の自分へ送るビデオレター。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 『私のネバーランド』圓﨑奈々佳
私が作った、私の夢を叶えるための世界。 作品は日藝博期間中、江古田校舎でもご覧いただけます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「1969年若松孝二論」松本淳
<論文概要> 1969年の作品(『処女ゲバゲバ』『ゆけゆけ二度目の処女』『理由なき暴行』『狂走情死考』『裸の銃弾』『現代好色伝/テロルの季節』)の六本を取り上げ、今まであった政治的イメージからの逸脱を試みる。具体的には第1章では女性の表情、台詞を巡って、第2章では男女が入り混じる性行為のシーンにおける演出について、第3章では男性像の凶器を手にする前後の変化、そして第1章で論じた女性の表情の正反対に位置する背中について論じてゆく。結論では、本論で一貫して分析してきた役者の身体性からみた若松孝二の新たな可能性と、今後の若松作品への新たなイメージへの展望について記してゆく。いわば、若松の演出術のようなものになっている。第2章の性行為シーンでは、カットの割り方などの編集にも重点を置き、映画を分析を行った。あくまで、若松の映画から見えてくるものに注視している。 <卒論を終えて> 終えてまず思うのは、夏休みに卒論から目を背け、連絡を怠ってしまったのにも関わらず、戻ってきた際に受け入れてくださった志村先生に対する感謝の念である。先生の気持ちは、蓮實重彦が結婚詐欺師と評した作家の代名詞であるやれやれであったと推測する。詐欺師と評された作家に出てくる登場人物のように、僕はパスタを食べるわけでも、ましては少し変わった女性との出会いもなかった。ただ唯一同じ点があるなら、夏以降図書館に、こもるようになったことだ。学生時代最後まで、後回しにする癖は治らず、本当にやれやれ。これからは早めに色んなことをやれやれ。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「アメリカンニューシネマから見るアメリカ社会」田口昇太朗
<論文概要> アメリカン・ニューシネマをテーマに、1960~1970年代のアメリカ社会を背景とした映画の作品分析を通じて、当時の社会的、文化的変動を論じる。アメリカン・ニューシネマの特徴として、反体制、個人のアイデンティティの葛藤、文化的変革が挙げられる。具体的に『俺たちに明日はない』、『卒業』、『イージーライダー』など、10本の映画を分析する。これらの作品は、ベトナム戦争や公民権運動などの社会的課題を背景に、若者の反抗心や社会からの疎外感を描き、リアリズムや即興演技といった革新的手法で表現された。また、映画が社会の状況や価値観をどのように映し出し、観客にメッセージを伝えたのかを考察している。この研究を通じ、映画が持つ表現力や社会的影響力、さらにはその後の映画制作への影響についても論じている。 <卒論を終えて> この論文は、アメリカン・ニューシネマと呼ばれる10作品を取り上げて、それぞれの分析を行うとともに、アメリカン・ニューシネマを三つのテーマに分け、ジャンル毎に分析し、当時のアメリカ社会を考察しています。また、その後アメリカン・ニューシネマがどのような影響を与えているかについても論じています。四月から約一年弱準備をしてきましたが、映画について様々な文献を読みながら4万字の論文を書くことは今後ないと思うので、貴重な機会となりました。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「大林宣彦の戦争表象論」石島怜奈
<論文概要> 本論では、晩年の大林宣彦が製作した四作品を主軸に、大林作品における「幽霊」と「喪失」との関係を再検討し、それを通じて大林がこれまでどのように死者を描いてきたのかを明らかにし、その作家性を追究することを目的とする。これまで度々示唆されてきた大林の映画が幽霊譚ばかりであるという点に関して、「生者と死者」「過去と現在、未来」という観点から大林が描いた戦争表象について見つめ直した。結果、登場人物の視線を使った手法(正面向きのショット)では、役者の視線をあえてカメラに向けさせ、カメラに向かって台詞を語りかけることによって観客を映画という装置の中に介在させ、無意識のうちに劇中へ引き込ませていた。そこには戦争を、他人事としてではなく、自分事として捉えてほしいという大林の意図が込められていることがわかった。「幽霊」と「喪失」との関係においては、とくに晩年の大林は「喪の作業」を繰り返し描いては、何度も喪失からはじめなおし、何度も死者や過去を回帰させ、生者と死者の混交を描いていた。大林宣彦は自身の苛烈な意志のもと、映画を製作することによって「終わりなき喪」を生き続けていた。 <卒論を終えて> 私が映画学科に入るきっかけとなった大林宣彦監督と自身の興味がある分野を卒論のテーマとすることができ、また、無事卒論の執筆を終えることができ、1つの到達点に立てた心地がした。今回卒論を執筆するにあたり、実際に大林の生まれ故郷である尾道や、戦争三部作の一つ 『野のなななのか』 のロケ地となった芦別を訪れたのだが、そこで感じたものは大きく、この論文を書く原動力となってくれた。執筆を終え、改めて、大林が生涯をかけ、映画を通して繋いでくれた平和への想いを、私自身しっかりと受け継ぎ、より良い未来を担っていきたいと感じた。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「戦前日本の音楽映画〜欧米音楽映画の影響と独自性を巡って〜」川井紗香
<論文概要> 戦前の日本で制作された音楽映画について、欧米音楽映画の影響と独自性について論じている。第1章では船頭小唄』(1922)と『東京行進曲』(1929)を中心に小唄映画が後のトーキー映画に与えた影響について「歌詞からの脚本の執筆」「映画とレコード会社のタイアップ」の2点を中心にその後の音楽映画に与えた影響について論じている。第2章では『音楽喜劇 ほろよひ人生』(1933)と『東京 ラプソディ』(1936)から日本におけるトーキー映画の創成期、トーキー音楽映画の黎明期における日本音楽映画について論じ、それぞれモダニズムとP・C・L.調の確立について分析した。第3章では『エノケンの青春酔虎伝』(1934)と『ロッパの新婚旅行』(1940)を中心に日本の音楽映画におけ る、映画以外の娯楽から受けた影響について論じた。 第四章では『鴛鴦歌合戦』(1939)、『ハモニカ小僧』 (1940)、『ハナコサン』(1943)から戦時中の日本音楽映画について論じ戦時中の音楽映画の置かれた状況と各作品が見出した独自性について分析した。 <卒論を終えて> 今回「戦前日本の音楽映画〜欧米音楽映画の影響と独自性を巡って〜」をテーマに研究を行いました。個人的に昔からミュージカル映画が好きということもあり、こんなに楽しい音楽映画たちが日本で90年前に作られていたということがとても嬉しく感じました。あまり研究されていない分野なので、今後研究され、作品の存在、楽しさが知られていったら嬉しいです。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「小津安二郎映画におけるシスターフッド−結婚を巡って」田辺こむぎ
<論文概要> 本論では、男性優位社会の中における日常的な家族の物語を描く小津映画の中には、どのようなシスターフッドが見て取れるのかという疑問から、『晩春』(1949)、『麥秋』(1951)、『お茶漬の味』(1952)、『東京物語』(1953)、『彼岸花』(1958)、『秋日和』(1960)、『秋刀魚の味』(1962)の7作品を取り上げ、小津映画におけるシスターフッドを提示する。具体的には、「結婚」という主題を軸に、女性がどのように連帯し、男性優位な社会に屈せず進んでいくのかを、当時の時代背景とともに映像やセリフ、仕草まで分析して考察していく。第1章では友人関係におけるシスターフッド、第2章では義理の姉妹関係におけるシスターフッド、第3章ではリメイク作品におけるシスターフッド、第4章では既婚女性におけるシスターフッドを取り上げる。結論として、小津映画におけるシスターフッドは、家父長制への抵抗を示す繋がりのことであり、特に、女性の聖域とされる二階や台所などの女性だけの閉鎖的な空間で繰り広げられるものである。また、小津映画では血の繋がりのないシスターフッドの方が多く存在しており、血縁関係のある女性よりも、友人や義理の姉妹や親戚という立場の女性との方が繋がりが深いと言える。 <卒論を終えて> 小津安二郎監督の映画は数多くの先行研究がされているため、自分が何か新しいことを論じることができるのか不安なまま卒業論文を書き始めたが、約8ヶ月ほどの長い時間をかけて、なんとか結論まで書き終えた時には、思っていた以上の達成感があった。各作品を分析することよりも、本論で取り上げた7作品をまとめて、結論を書く部分が一番苦戦し、何度も書いては添削をしてもらうという作業を繰り返す中で、改めて「世界の小津」とも呼ばれる小津の作品の深さを実感した。自分自身が大学に入ってから興味を持った小津と、ジェンダー問題を合わせたテーマで卒業論文を書くことができたことを嬉しく思う。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「ジョン・カーペンターの孤独な男たち」山田康平
<論文概要> ジョン・カーペンター作品の特徴として、孤独と家族の関係が表裏一体で描かれる。『ハロウィン』や『遊星からの物体X』では、孤独が恐怖を生み出す一方で、家族的な絆はしばしば崩壊する脆弱なものとして表現される。『ゼイリブ』や『ニューヨーク1997』では、孤立した主人公たちが社会や家族との関わりを拒みつつ、新たな絆の可能性を模索する姿が描かれる。これらの作品は、孤独を恐怖としてだけでなく再生の契機としても捉え、家族や共同体の安心感を問い直すとともに、個人の自由や成長をテーマとしている。 < 卒論を終えて > 長い間、資料を集めたり、分析を繰り返したりしてきたことで、書きながら自分の考えが深まったり、新しい発見があったりして、学びが多かったなと思います。ただ自分の考えを曲げずに柔軟に考えることができていなかった点は反省したい。今はその成果を実感し、充実感を感じています。これからは提出後のフィードバックを楽しみにしつつ、少しでも次のステップに生かしていきたいです。1年間卒論指導ありがとうございました。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。
- 「ソフィア・コッポラとポストフェミニズム:女性の表象とその複雑性」胡馨煜
<論文概要> ポストフェミニズムの文脈においては、女性の成功や個人の選択が強調される一方で、映画業界全体のジェンダーバランスの歪みや女性に課される制限が隠蔽されがちである。コッポラの存在そのものが、ハリウッドにおける監督の数の少なさを際立たせると同時に、彼女が「特別な存在」として語られることで、逆に女性の多様な声が抑圧されている現実を露呈している。このような背景の中で、なぜ映画業界は依然として女性監督に物語を語る機会を制限しているのかという問いは、単なるジェンダーの問題に留まらず、権力構造や文化的な価値の偏りを再考するきっかけとなる。コッポラの作品は、女性の内面や感情を繊細に描き出すという点で異なるアプローチを取り、より私的な世界観を提示する。彼女をはじめとする女性監督が描く女性の物語の再評価は、ポストフェミニズムの延長線上に立つ女性たちが、自らの視点や物語を再定義し、その価値を見直す試みである。 <卒論を終えて> 1年間お疲れ様でした。 ホラー映画の女性像というテーマから変更して、今のソフィア・コッポラの作品にたどり着いた。指導教授の志村先生は毎週提出した文章をきちんと読んで、そして細かいところまで訂正させていただき本当に感激の気持ちいっぱいでした。締切日を踏みながら完成した文章でもあり、このような長文を書くプロセスを通して自分の不足もよく見えている。 ソフィア・コッポラを言及するたびに、常に彼女の作品は狭い、あるいは「女々しく」というコメントがよくある。しかし、このような偏見から抜け出して、もう一度彼女の作品を観れば、その目線(カメラワーク)に潜んでいるニュアンスが美しくて切ないと感じられるだろう。 作品は日藝博期間中、江古田校舎で読むことができます。 ▶︎ 対面企画 ご感想はページ下部のコメント欄にお願いいたします。












